とりまかし読書記録

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【書評】渡邉有希乃『競争入札は合理的か』(勁草書房)

国や地方自治体などが公共工事を発注する際には、事業者を選ぶためにオークション(競争入札)を実施する。出品者が複数の買手を相手にするオークションとの対比で、複数の売手が参加する公共工事入札は「逆オークション」とも呼ばれる。

オークションを実施するメリットの1つは工事費用を抑えられる点にある。オークション理論によれば、できるだけ多くの応札者を集め、落札価格に適切な上限を設ければ、発注者は工事費用を最小化できる。あとは入札の結果にしたがい、最も低い価格を入札した事業者に落札価格で工事を発注すればよい。ところが、現実の公共工事入札では、落札価格に下限を設けたり、参入要件を課して応札数を抑えたりという、費用最小化に反するような運用が行われている。このような運用を正当化する「合理性」はなにか、これが本書の問題意識である。

現実の制度運用が費用最小化の原則に反している以上、いわゆる(経済学に基づく)通常のオークション理論の枠組みでは現行制度に合理性を見出すことができない。そこで本書が注目したのが制度運用にかかる「取引費用」である。実際のところ、行政組織は「低価格・高品質」の公共工事を調達するために事業者を選び出す必要があるが、これは容易ではない。①事業者の数が膨大で、②最適な価格・品質の組を決定することが難しく、③事業者のモラルハザードが存在する、といった要因により、事業者の選出には取引費用が生じる。

こうした状況を踏まえ、本書は以下のように主張する。(単なる)競争入札は取引費用削減のために十分ではなく、落札価格に上下限を設けたり、参入要件の設定により応札数を抑えたりという運用によって、取引費用がさらに低下する。結果的に実現する価格・品質は社会厚生の観点から必ずしも最適とは限らないが、行政組織が「満足する」水準におさまる。取引費用を低減する現行の入札制度には、満足化の観点から合理性がある。

上記の主張を得るために、本書の前半では公共工事調達についての先行研究に加え、制度論や合理性についての先行研究が整理される。その上で、本書の後半は現行の具体的な入札制度運用について、以下の3つの問いを考察する。

  1. 落札価格に上下限を設けているのはなぜか。
  2. 応札数を抑えているのはなぜか。
  3. 落札価格の下限に2種類の異なる運用法があるのはなぜか。

各章ともに、理論的な分析に加え、アンケート調査・ヒアリング調査の結果を用いた実証分析を提示している。

本書は、意思決定論の視点から競争制限的な公共工事調達の合理性を分析した労作である。「現行制度が事業者の選出にかかる取引費用を削減する」という本書の主張は、緻密な論理展開と実証分析により十分に裏付けられている。それにもかかわらず、私は本書を読んでいていくぶん物足りなさを感じた。おそらく、結論がありきたりと思える分析がしばしば散見されるからだろう。たとえば、低すぎる価格を落札価格として認めないのは品質を担保するためとか、応札数を抑えることで事業者の能力を担保するとか、「まあ、そうだろうな」と思える話にさほど驚きはない。もちろん、これが取引費用の削減という意味で合理性を持つのだ、という議論に本書の貢献があるということは十分に理解しているつもりだが、本音を言えば、私は何か一捻りを期待していたのだ。

また、分析の枠組みについても少々肩透かしを食った感じがあるのだが、これは私がオークション理論の考え方に慣れてしまっているからかもしれない。

本書は「なぜこの制度が選ばれたのか」について議論しているのではなく、「いかにして、この制度が取引費用の削減に貢献しているのか」を分析している。さらに言えば、「取引費用を削減するために、現行制度が最適なのか」あるいは「どのような制度が最適なのか」についての議論はない。つまり、本書は収益最大化の視座にある(経済学的な)オークション理論の系譜に連なる研究ではない。これ自体は何ら問題ではないが、オークション理論の考え方に慣れた読者にとって、現行制度は公共工事の調達コストを最小化しないが、それでもなお合理的な制度であるという主張は、ともすれば何か論点をずらされているように感じるかもしれない。

ところで、公共調達工事の入札には繰り返しオークションの側面がある、と私は思う。入札の時点で工事の品質に不確実性があるのは事実だが、事業者の集合にあまり大きな変化がないならば、低品質(手抜き工事)の悪評が立てば事業者は次の機会を失うはずで、新参者以外にとって、落札価格の下限はさほど意味を持たないようにも思える。各入札を一連のオークションの一部と見て、事業者の集合の変化を考慮することで、本書の研究をさらに拡張できるのではないだろうか。