とりまかし読書記録

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グレッグ・ボグナー、イワオ・ヒロセ(児玉 聡、他)『誰の健康が優先されるのか――医療資源の倫理学』岩波書店

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どのように医療を配給するべきか?

「医療の配給」は、医療資源を振り向ける治療方法や医療サービスを提供する患者集団の「選択」を意味する。つまり「どの抗がん剤を健康保険の適用対象に加えるか」や「インフルエンザのワクチンを誰に投与するか」を決めるということである。英国の作家であるギルバート・チェスタトンは「何かを選ぶことは別の何かを選ばないことである」と言ったが、医療の配給において彼の言葉は特別な響きを持つように感じられる。

どのように医療を配給するべきか?グレッグ・ボグナーとイワオ・ヒロセによる『誰の健康が優先されるのか――医療資源の倫理学』(岩波書店、2017年)は生命倫理学の立場からこの問いへの答えを探っている。著者はそれぞれスウェーデンとカナダの大学で教鞭をとる2人の哲学者だ。

本書の議論をまとめておこう。

  1. 医療資源が限られているため、医療の配給は避けられない。
  2. 医療の配給方法は合理的で、かつ倫理的・道徳的に正当化できなければならない。
  3. 費用効果分析に基づいて配給方法を決めるのは合理的である。
  4. 「効果」を評価するうえで公平性を考慮に入れることで、3. を倫理的・道徳的に正当化できる。
  5. 他方で医療の配給方法を決めるにあたって、行為の選択や帰結に関する個人の責任を考慮に入れるべきではない。

まず、1章を丸ごと充てて本書は1. を説明する。レビュアーの私見ではこの主張は自明である。とはいえ背景説明はその後の議論を展開するために重要だし、1章を読むことで著者たちが慎重に議論を進めていく姿勢をうかがうことができる。また1章では医療の配給が実際に世界中で行なわれている事実に読者の注意を向けさせる。そのうえで本書は医療の配給の望ましさを強調する。もちろん配給方法が合理的かつ倫理的に正当化できる場合には、である(2.)。配給方法の決め方が備えているべき性質が2章以降で議論されていく。

著者たちの提案は、配給の決定に費用効果分析を用いるべきというものだ。費用効果分析では(福利そのものではなく)健康関連QOLなどの尺度を用いて介入・治療の「効果」を測定する。他の条件を一定とすれば、健康状態を大きく改善する介入・治療に高い優先度が与えられる。これは合理的と言えるだろう(3.)。費用効果分析の前提には、医療の受益者の便益を足し合わせることが可能だとする「集計のテーゼ」がある。著者たちはこのテーゼを認める立場に立つ。

費用効果分析に対しては「公平性」の観点による批判がある。しかし著者たちの見解によれば、受益者の便益の評価に「優先主義」を取り入れることで、公平性に配慮しながら費用効果分析を行うことができる(4.)。例えば健康に恵まれているかどうかや年齢によって個人の便益に重みづけすれば、これらの事情を効果の大きさに反映させることができる。これが優先主義の考え方である。

他方で「誰の治療を優先すべきか」という問題において特に、不健康な状態を自ら招いた患者の「責任」を判断基準の1つとするのが公平だという議論がある。しかし著者たちはこの考え方を退ける(5.)。理由の1つとして、患者の選択は実際のところ、患者が置かれている社会環境や経済状況から大きな影響を受けているかもしれず、その状況を選んだのは患者の意思とは無関係かもしれないからだ。

新型コロナのワクチン開発が成功し、いよいよ投与が始まるというニュースに人びとが接し始めたのは2020年の暮れである。しかし誰もがすぐにワクチンの恩恵にあずかれるわけではない。では誰が優先されるのか。本書の議論が突如、身近で現実的な問題として人々に意識されるようになってきたわけだが、解決策は一朝一夕に見つかるわけではない。私たち自身が普段から入念に考えておく必要があり、本書は考え方の柱を提供してくれる。