とりまかし読書記録

読んだ本の感想や書評を掲載していきます。

小倉美惠子『諏訪式。』(亜紀書房)

新作映画のロケで諏訪を訪れた著者が、諏訪に何か恩返しをしたいという思いでまとめたのが本書である。著者を魅了する諏訪とはどのような土地なのか、何がそこまで著者を惹きつけるのか。諏訪の企業や人、風土について諏訪への愛情あふれる筆致で描き出している。

諏訪式。

諏訪式。

「土地にしっかりと根をはり、自らのバックボーンを力として生きている人びと」を著者は「軸足のある人」と呼ぶ。諏訪人は著者のいう「軸足のある人」なのである。軸足のある人によるものづくりは風土に馴染む。「諏訪にあるもの」を主軸に据えているので、諏訪の企業や産業には「ものづくりのDNA」が受け継がれている。その一方で気候環境の厳しい諏訪では、人びとが「自分で考え工夫する力」が求められてきた。熱心に勉強し、創造性を発揮しながら「なんとかやってみよう」とする。3代目武居代次郎が発明した「諏訪式繰糸機」はまさしく勤勉性と創造性の産物で、諏訪の製糸業が地位を向上する契機となった。諏訪のものづくりには「諏訪にないもの」である外来の技術を取り込んでうまく利用するという特徴があるという。この「合わせ技」こそが「諏訪式」なのである。山田正彦が出向で居合わせた小川憲二郎を誘って興した三協精機(オルゴール)や、「諏訪人の熱意と疎開組の技術力」が生んだ諏訪精工舎(腕時計)は合わせ技の威力を物語っている。

合わせ技を成功させるには当事者に強い信念と並々ならぬエネルギーが必要だっただろう。そうでなければ合わせ技は簡単に返されてしまい、地元企業は外来企業にのみ込まれてしまったに違いない。こうした人たちのなかに著者は「ゴタっ小僧」の面影を見出す。ゴタにはやんちゃとかきかん坊といった意味があり、確かにゴタは芯の強さと表裏一体と言える。著者が本書で注目したのは岩波書店創業者の岩波茂雄アララギ派詩人の島木赤彦という2人のゴタである。頑固な面がある一方で筋道を通すゴタには信頼を置きやすいだろう。とすれば諏訪の地を離れても諏訪人がお互いを重宝して交流を深めるのも自然な成り行きである。信州人の出版ネットワークもこうした交流が土台にあると著者は見る。もちろん諏訪人や信州人ならば誰でも信頼できるというわけではないし、信頼する仲間の紹介を通じて他所の出身者が交流に加わることもある。こうして出来上がった人脈こそが「信州人にとって最も確かな宝」だという著者の指摘は誠に的を得ている。

本書の後半は諏訪人を生んだ諏訪の風土を描き出す。諏訪の地は山に囲まれた盆地になっていて、中心には諏訪湖がある。杖突峠から諏訪を眺めた著者は「ただごとでない風土」を感じたという。古代、奈良の都から蝦夷地へと続く東山道が通る杖突峠ヤマトタケルの東征に思いが至るのは、神話に材を取った映画の作り手である著者らしい。本は諏訪の地形から環境や気候、信仰、風土へと話が続いていく。「繰越汐」や「寒天づくり」などの風景を目の前にして、著者はそれらが風土に馴染んでいて懐かしいと感じるという。心の原風景とも言える光景を数多く諏訪の地に発見したことが、ヨソモノであるはずの著者が諏訪について1冊の本を書き上げるに至った理由なのだろう。風土を生かすことの重要性を説いた三澤勝衛の「風土学」の一端を引きながら本書は締めくくられる。