とりまかし読書記録

読んだ本の感想や書評を掲載していきます。

マンスキー『データ分析と意思決定理論』ダイヤモンド社

政策には分析と意思決定という2つのステージがある。専門のアナリストが政策を分析・評価し、それに基づいて政治家が政策を決定する。政策は景気対策かもしれないし、感染症対策かもしれない。いずれにせよ「理想的な世界」では最も有効性の高い政策が選ばれ、実行に移される。

しかし現実社会は不確実性に満ちており、理想的な世界とは程遠い。アナリストの分析は信頼できないかもしれず、政府が適切な政策を選ぶと期待するのも難しい。

本書は2部構成で、前半が分析、後半が選択について政策に関する問題点を議論している。どちらも鍵は不確実性である。

アナリストは政策を分析し、効果を点予測として示すことが多い。「失業率が1%下がる」「所得が20%増える」などが点予測の例だ。点予測によって、次のステージでの政策決定は易しくなるが、こうした点予測を著者は「信頼が置けない」と切り捨てる。なぜなら点予測の背景には多くの強い仮定があるからだ。仮定が分析の正確性を高めるならまだしも、「分析のしやすさ」が大きな理由だということもしばしばある。著者の懸念は何より、同じデータを使っても、仮定の置き方次第で分析結果を正反対に導くことができてしまう点である(「死刑制度は犯罪率を抑える」「死刑制度は犯罪率を高める」)。本書では点予測の背後にどのような仮定を置いて分析しているのかが、具体例を多く用いて説明される。仮定を許容できるかどうかについての議論も示される。

仮定の強さと政策分析の信頼性との間にはトレードオフがある。強い仮定を置いた分析は信頼性を犠牲にしているのだ。このトレードオフを踏まえ、著者は信頼性の高い分析を高く評価する。それが弱い仮定を置いて導かれる区間予測である。もちろん区間予測には政策の比較が難しくなるというデメリットもある。2つの政策から示された予測の区間が重複する場合、どちらの政策を選ぶべきなのか決めるのは難しい。点予測が政治家や一般の人々に好まれる理由もこの点にある。しかし不確実性に満ちた社会では不確実性を受け入れることこそ誠実な態度だ、と著者は示唆していると私には思える。

政策の効果に幅がある場合、選択に関する意思決定は難しくなる。状況によって、政策Aが望ましいこともあれば、政策Bが望ましいこともあり、どちらの状況が起こるのかは前もって分からないからだ。そのため、政策決定には何らかの基準が必要である。著者は3つの選択基準(期待厚生基準、マキシミン基準、ミニマックス・リグレット基準)を紹介するが、ここでも重要な事実を教えてくれる。基準が変われば選ばれる政策も違ってくるのだ。

どの基準もそれぞれ、強力に擁護する派閥がある。しかし本書はいずれかの基準を推奨するという立場を取らない。著者はこう主張する。意思決定理論の分野においてある基準が圧倒的に良いとは言えないはずであり、不確実な世界において政府ができることは「最適な政策」ではなく「妥当な政策」を選ぶことにしか過ぎない。

以上の論点では不確実性が問題の原因だった。しかし政策決定において、意思決定者が一人ではなくグループになると、不確実性が減ったとしても合意に至れない可能性がある。第2部の後半はこの点も議論される。

著者は、政策分析に目を通すすべての人に贈りたい注意と助言だとして、こう書いている。

アナリストが分析結果について不確実性があることを表明しているのか否か、どのように表明しているのかを吟味し、あたかも確実であるかのように主張されている分析結果については疑ってかかるべきだ(314ページ)

私たち全員が肝に銘じておくべき注意と助言だろう。これは政策分析だけでなく、ニュースやSNSを通じて流布される多くの言説に対しても有益だろうと私は思う。

ところで個人的には、区間予測の優位性を主張する前半と比べて後半の第2部はやや物足りないと感じた。前半のインパクトが大きいからなのかもしれない。「オッカムの剃刀」に対して著者が疑問を投げかける場面では、読んでいてはっとした。「単純さ」が基準として優れていは当然だと思い込んでいたのだが、確かにその理由を問われると答えに詰まる。「他を一定として」という前提条件を暗黙の裡に仮定(!)していたのかもしれない。政策は実行にあたって費用や便益を考慮するのが普通だが、その視点からの議論は本書から除かれている。後半の第2部に章を割くこともできただろうと思う。全体を通していくつかの主張を色んな論拠で補強していく本書は内容が理解しやすい。記述も平易で分かりやすい。