とりまかし読書記録

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結城紬生産と家族構造の関係:湯澤規子『在来産業と家族の地域史』(古今書院)

着物を好きになって色々と調べていると気になるのが「結城紬」。結城市茨城県)と小山市(栃木県)で織られる伝統的な絹織物で、伝統的な生産技術は国の重要無形文化財に指定されている。月並みな感想なのだが実際に着てみるとまずは軽さに驚く。そして暖かい。確かに着心地の良さは抜群で「最後に行き着くのは結城紬」と言う人もいる。

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結城紬大島紬の羽織。結城紬はとにかく軽い

そんな結城紬生産現場を「ライフヒストリー」によって読み解こうとしたのが湯澤規子による『在来産業と家族の地域史』(古今書院、2009年)。この記事では本書の内容を紹介する。

結城紬は昔から特産品(ブランド品)だった。早くも1638年には『毛吹草』で下総土産として結城紬が登場し、1700年頃に全盛を極めたらしい。第2章で著者は結城紬の生産体制が時代とともにどう変わっていったのかを、『結城市史』などの資料を使って概観している。結城地方では文政年間に導入された「高機」がさほど普及せず、「居利機」を用いて紬を織り続けた。また明治期以降も「小規模な農工未分離の農村家内工業」が続いた。これらは結城地方の大きな特徴である。日露戦争期の不況にあっても紬生産は「旧来どおり複合的な生業」の1つであり、地域は「優れた技能を高めることに専念し、生産量は増やさず、高価な紬を生産する」指針を取った。第2次世界大戦後、1956年に国の重要無形文化財として指定されると結城紬の需要は急え、また高級化が進んだ。年間3万反という生産量が維持できた背景には専業機屋の存在が大きい。家族内で「下拵え」「絣括り」ができなくても「貸機」として紬を生産できる。しかし1983年に織り手が減少傾向に転じ、それに連れて生産単数も減少していく。

そんな結城紬は小規模な家族生産に支えられてきた。そこで本書は紬生産における「家族の役割」に注目する。著者が明らかにしたのは、家族構成が結城紬生産に影響を及ぼすという事実である。家族の役割に注目したことが本書の特徴の1つと言える。地理学の分野では「個人・家族」と「産業・地域」の相互関係を解明した研究が多くないく、既存研究では家族内分業の実体が詳細に検討されてこなかったという(6-10頁)。既存研究は「紬生産が農業の副業であること」を強調することが多く、そのため従来から紬生産と農業構造との関連に研究が集中していた。

また資料収集や聞き取り調査を行ない、地理学では珍しい「ライフヒストリーの収集・分析」を研究手法として採用したことは本書のもう1つの大きな特徴だ。この手法は「地域に暮らす一人ひとりの人間像やその暮らしのあり方を地域の問題として捉え直してみたい」(10頁)という著者の目的意識に合致したのだろう。

本書で著者が明らかにした内容は大きく3点あると思う。①複合的な生業の一環として、紬生産は必ずしも零細農家の副業ではなかった。②柔軟性のある家族内分業が紬生産(織り)を可能にした。また分業の柔軟性が生産形態の決め手だった。③高度経済成長期に崩れ始めた生産システムの崩壊が1980年以降の産地衰退につながった。以下で詳しく見ていこう。

鬼怒川流域の結城紬生産地域は農業基盤が脆弱で、零細農家が収入を補うために紬生産を副業としていた。これが先行研究による見方だったという。しかし第3章で論じるように、著者によればこの見方は正しくない。例えば旧絹村では昭和期戦前において平均以上の農業生産性を持ちながらも、紬は主要産品の1つだった。この地域の人びとは農業を含む多種多様な生業を組み合わせて生計を立てており、こうした生業の中で時間や労働力を融通し合えることが重要だった。紬生産はその条件に適する生業の1つだった。

40以上の工程を経て織り上がるといわれる絣紬。紬生産は関連業者(機屋、原料商、染色業、撚糸業、整理業など)の分業で成り立っている。生産機能と問屋機能はそれぞれ農村と市街地に多く、結城紬生産は「都市と農村間の連携によって成立している」。「機屋は農家に多い」という従来からの指摘は不正確で、縞屋(買継問屋)を除く関連業者はどれも複合的な生業によって生計を立てていたし、また生業は農業に限らないと著者は指摘する。この背景には地域の歴史的な経緯がある。鬼怒川水運が衰退する前から人びとは多様な生業を組み合わせて生計を立てていた。複合的な生業構造の中で紬生産が展開していったと著者は論じる(89頁)。

紬生産が家族労働力に依存していることは先行研究でも指摘されていた。本書が明らかにしたのは、紬生産が家族労働力に「どのように」依存しているのかである。紬生産では男性が絣括り、(若年・中年)女性が織り、高齢女性が下拵えを担当する。紬織りを専業機屋と賃機のどちらで行なうのかは、家族内に絣括り・下拵えを担えるメンバーがいるかどうかによって決まった。他方で織り手の作業効率を優先し、家事労働は年齢性別によらず他の家族メンバーが分担した。家族内分業が可能かどうかは紬生産にとって決定的に重要だった(機屋意外の関連業者でも同様)。また家族労働力構成や生業の種類が生産される紬の種類や絣柄を決める要因ともなった。こうした「地域分化」を調整する縞屋の役割が重要だった。

結城紬の生産量が減少し始めたのは1980年である。しかし本書は、それに先立つ高度経済成長期には「生産システム」が徐々に崩壊し始めていたことをライフヒストリー分析によって明らかにした。著者は3つの変化を挙げている。①家計に占める紬織りの重要性が低下して、もはや生業の1つではなくなった。例えば夫が会社勤めで得る給与が主要な生計手段となり、紬織りは「内職的」「パート的」なものへと変わった。②家族内分業が成り立たなくなった。核家族世帯で家事・育児と紬織りを妻が1人で両立することは難しい。③専業的・継続的に従事する人が減り、紬生産の維持・継承ができなくなってきた。「住み込み」による技能継承が崩れ、徒弟制度が維持できないために熟練した技能保持者が再生産されない(185ー187頁)。織り手が高齢化し、かつ減少した。もちろん①~③はすべて相互に関連している。

既存研究が生産地域の存立基盤に影響を及ぼす要因として外部的要因(景気変動、需要変化など)を強調するのに対し、本書は地域や家族の内部的要因の重要性を指摘した(217頁)。

本書は在来産業における家族の役割を論じた研究書としてだけでなく、ライフヒストリーに含まれた貴重な資料として非常に興味深い。結城紬生産の衰退・減少の「内部的(ミクロ)要因」として説得力のある説明を提示している。また、戦時統制や不景気などの外部条件よりも、織子の不足という内部条件が機屋の経営存続を決定づけていたという事実も個人的には意外な発見だった(144頁)。全体として産業分析研究の良書だと思う。

最後に本書の分析が不明瞭と感じる点を挙げておこう。家族内分業に注目する本書は、高度経済成長期に生じた紬生産システムの崩壊を明らかにした。ライフヒストリーを分析した第5章で著者は、家族内分業が失われるなかで賃機が機能しなくなっていくメカニズムをはっきりと提示している。他方で専業機屋における家族内分業の変化とシステム崩壊との関係があまり明瞭に示されていないと感じる。例えば氏家家の事例を通じて著者は、生業に占める紬生産の比重を高め、兼業機屋から専業機屋へと経営形態を変えることで「紬生産に関わる家族内分業の伸縮自在な柔軟性は失われ」たと指摘する(162頁)。しかしこの変化が最終的な結城紬生産の衰退・減少にどう影響するのかははっきりしない(技術継承についての分析は明瞭)。また、「絣括り」のできるメンバーが家族内にいるかどうかが専業機屋としてやっていけるかどうかの決め手だという(比較的明らかな)点をのぞくと、「経営形態の変化に影響を与える諸条件を具体的に考察する」(115頁)ことにはあまり成功していないように見える。