とりまかし読書記録

読んだ本の感想や書評を掲載していきます。

ヤドカリたちの住宅難

小学生の頃、ヤドカリを「ヤドカニ」だと思っていた。漢字でどう書くかなどまったく意識していなかったけれど、たぶん頭には「宿蟹」があったのだろう。エビやカニと同じ十脚目の生き物なので、まったくの的外れというわけでもないかもしれない。もっともいま思うとたぶんザリガニと混同していたのだろう。理由はよく分からないが当時、うちの小学校ではザリガニを飼うのが流行っていた。近所の排水溝で誰かが採ってきたザリガニが小学校の中庭にあった洗い場へ放してあった。休み時間にみんなでザリガニを見に行って餌をやったり(何を与えていたのかまったく覚えていないけれど)ホースで水をかけたりしていた。これを飼っていたと呼んでよいかどうかは微妙かもしれない。

小学生の思い出が急に頭に浮かんだのはヤドカリについて興味深いニュース記事を読んだからだ。2020年は世間の話題をコロナウイルスがさらった1年だったが、その影響はヤドカリにも及んだらしい(「「宿なし」ヤドカリを助けて!タイ国立公園が貝殻の寄付呼び掛け」AFPBBNews2020年11月9日)。

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2020年、世界中のいたる所から観光客が姿を消したのは知ってのとおり。タイ南部にあるランタ諸島国立公園も例外ではない。そして観光客の激減を埋め合わすように同公園ではヤドカリの生息数が急増したのだという。この因果関係が素人目には分からないのだが、海洋生物学者の目には観光客減が一因と映るらしい。

原因はなんであれヤドカリたちが突然の住宅難に見舞われることになったのは事実。ヤドカリは成長して体が大きくなるとより大きな貝殻を見つけて引っ越すのだが、それらの貝殻は死んだ貝が残したものだ。貝の生息数が増えなければ貝殻の数は変わらない。つまりヤドカリが増えただけ貝殻は不足する。ヤドカリの体は柔らかく、自分を守ってくれる貝殻がなければ生きていけない。そんな住宅難で彼らが選んだ道は貝殻の代わりに空き缶のふたやガラス瓶などを宿にすること。なんとも強かなものだと関心する。

普段は空き缶を選ばないのだからヤドカリにとっては貝殻が望ましいのは間違いない。けれどもガラス瓶を背負う生活がヤドカリにとってどれほど都合の悪いことなのか、これは記事に言及がないので分からない。巻貝特有の螺旋がヤドカリには心地よいのかもしれない。さて国立公園当局が「ヤドカリのため円すい形の貝殻を公園事務局に送ってほしい」と人々に呼びかけるとタイ各地から200kgの貝殻が集まった。日常生活で不自由を強いられているはずの状況でヤドカリのために行動する人びとがたくさんいるとはなんとも驚きだ。仏教の教えが人口に膾炙するタイならではなのかもしれない。2021年はコロナ禍が収束してヤドカリにも日常生活が戻ることを祈りたい。