とりまかし読書記録

読んだ本の感想や書評を掲載していきます。

孫崎享『戦後史の正体』(戦後再発見双書)創元社

「戦後再発見」双書のシリーズ1冊目。「戦後史」は文字通り、第2次世界大戦以後の歴史という意味だが、本書が焦点を当てるのは「日本外交」だ。「日本は米国に従属する」という米国の方針の下、米国は戦後の日本外交に関する絶大な影響力を持ち続けた。こうした「米国の圧力」に対して、日本には「自主」「対米追随」という2路線が存在する。本書は戦後史を理解するために「2つの路線のせめぎ合い」という枠組みを提示する。

2つの路線はシーソーのように行ったり来たりするのだが、それが如実に現れるのが首相・外相の顔ぶれだ。実際に、自主派・追随派が交互に首相を務めている。しかし、自主派は劣勢に立たされがちだ。というのも、自主路線が広く支持を集めそうな場合、米国が陰に陽に「自主」の切り崩しに介入するからである。本書の大半は、首相の交代劇と、それを後押しする米国の裏工作の実例を示す事に充てられている。

本書を読んで否応なく気付くのは、米国の対日政策が米国の国益(日本ではなく)に基づくという至極当然の事実だ。日本の経済力を脅威と見なせば、米国は国際協定に反してでも日本を潰しにかかる(297ページ)。軍事力の維持に固執する米国が日本を軍事戦略に組み込み、本来は民間投資に使えるはずのお金が軍事費に振り向けさせられた結果、日本の経済力は著しく凋落した(314--315ページ)。こうした経験を踏まえ、日本は独立国として自国の国益を踏まえて外交その他の舵取りを行なう必要があるのだ。

しかし、事実として、占領時代に作られた「日本が米国の保護国である」という状況が現在も続く。その背後にある無視できない要因が、「対米追随」路線のシンボル・吉田茂講和条約締結(1951年)後も首相を続けた点である。本書はこれを「日本の最大の悲劇」(56ページ)だと嘆く。

これとは別に、現状が変わらない理由として著者が指摘するのは、現在の外務省や外務官僚の姿勢だ。例えば、1951年当時の外務省は、米軍の日本駐留について新安保条約に条件などを明記するよう米国に求めた。著者はこの点を高く評価するが、これは米国にただ追従するだけの現在の外務省・外務官僚に対する批判の裏返しである。

「つまり、「米軍駐留に関する規定を安保条約の本文のなかに書き入れ、日本の国会や国民にきちんと判断してもらおう」という考えが外務省にはあったのです。このあと当たり前になってしまう「協定や合意文書という形で米国と密約を結び、国民の目の届かないところで運用してしまおう」という姑息な考えは、当時の外務官僚はもっていなかったのです。」(118ページ)

日本にとって米国の存在は大きい。そうした現状を理解した上で、著者は「力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか」が重要であると言う。これは政治家や官僚だけでなく、国民1人1人が十分に肝に銘じておく言葉ではないだろうか。

「1990年代に入り、米国は「同盟国に公平さを求めれば、米国自体が反映する」という時代ではなくなりました。米国は露骨に自己の利益をゴリ押しするようになり、それを黙って受け入れる相手国の首相が必要になってきたのです。米国にとって理知的な首相はもう不要となり、ことの是非は判断せず、米国の言い分をそのまま受け入れる首相が必要になったのです。」(325ページ)

歴代首相の中で安倍首相が最長の在任日数を記録したことの意味がよく分かると言えよう。