とりまかし読書記録

読んだ本の感想や書評を掲載していきます。

オークション参加者が払う手数料がてんでばらばらだという謎

オークションというプラットフォーム

 

近年プラットフォームビジネスが注目を浴びている。プラットフォーマーと呼ばれる企業が物を売りたい人と買いたい人を集めて売買の機会を提供する。人びとの関心を特に集めているのはオンラインのデジタルプラットフォームで、政府がまとめた『通商白書』や『情報通信白書』でも多くのページを割いて論じられている。プラットフォームそのものは昔からある商売で、百貨店やショッピングモールのテナントを思い浮かべればよい。オークション(競売)もこうしたプラットフォームのひとつである。

 

プラットフォーマーである競売会社は、品物の委託者(売手)とオークションの参加者(買手)から手数料を徴収する。これらの手数料が競売会社の収入源である。手数料は定額ではなく、たいていは落札額に対する手数料率(パーセンテージ)として決められている。例えば絵画が高額で落札されると必ず話題にのぼる世界3大競売会社のひとつ、サザビーズサザビーズのウェブサイトで公開されている手数料表を見ると、買手の手数料率は落札額に応じて12~30%ほどである(高く売れるほど手数料率は下がる)。売手に対する手数料率はケース・バイ・ケースとして公表されていないのだが、おおよそ10%と言われている。

 

ちなみに英語では売手が支払う手数料を「ベンダーズ・コミッション(Vender’s commission)」、買手が支払う手数料を「バイヤーズ・プレミアム(Buyer’s premium)」などと呼ぶ。品物を落札したら、入札した金額に「プレミアム」を上乗せして支払うことになる。日本語でプレミアムというと、「高級」「特別」といった良いイメージがあるのだが、こんな「プレミアム」はできれば遠慮したいところである。

 

てんでばらばらな手数料率

 

「競売会社は売手と買手から手数料を徴収する」と書いたが、そのうちの一方にしか手数料を課さないこともある。実を言うと、売手と買手の双方から手数料を徴収する方が珍しい。多くのオークションでは売手だけに手数料の支払いが課されている。魚市場や花き市場の競りもそうだし(この場合、スペースを提供しているのは競売会社ではなく市町村などの行政)、ヤフオク!やイーベイといったオンラインオークションも同じである。

 

面白いのはサザビーズが運営する「オンライン・オンリー・オークション」だ。文字どおりオンラインのみで開催されるオークションなのだが、サザビーズが実施する他の「オフライン」オークションと違って、買手手数料は無料。すでに市民権を得ている他のオンラインオークションの流儀に合わせたのだろうか?もっとも、最初は買手からも手数料を徴収していた。その後、無料化したのをまた有料化にするなど、ずいぶんすったもんだした末の買手手数料無料なので、今後変わる可能性もあるかもしれない。

 

興味深いのは、競売会社が取り扱っている品物の種類や、競売が行なわれる業界によって設定している手数料率の幅がかなり広いという事実だ。シカゴ・ワイン・カンパニー社(CWC)とミカエル・デイビス・アンド・カンパニー社(MDC)が米国シカゴで開催したワインオークションを例にとろう。1995年から1996年にかけてのオークション・シーズンで、CWC社が売手のみに28%の販売手数料を課していたのに対し、MDC社は売手と買手からそれぞれ15%と10%の手数料を徴収していた。これらのオークションを詳しく調べた研究によれば、取り扱っていたワインの銘柄や年代は2社の間で大きく重複していたという。

 

なぜ大きなばらつきがあるのか?経済学的にはよく分からない

 

経済学にはオークション理論という分野があって、ゲーム理論を土台にして参加者の行動を分析する。この疑問の答えを知りたいと思い、オークション理論を使ってじっくりと考えてみた(分析をまとめた論文はこちら。論文の内容を解説した記事はこちら)。その結果は……、正直言ってよく分からなかった。今後も分析を続けるつもりだが、ひょっとするとオークション理論の標準的な枠組みではうまく考えられない問題なのかもしれない。

 

理由としてあり得そうなのは、外から簡単に見える手数料とは別の費用が何かあって、それが手数料率の違いに表れているということ。または、手数料率の違いが異なる「グループ」の人たちを引き寄せることで、競売会社間ですみ分けができている可能性もある(これは業界間で手数料率に差があることの理由にもなり得る)。あるいは、単なる業界慣行ということも考えられる。こういった理由がどれほどもっともらしいのか、今後考えてみたいと思う。

オンライン授業の価値は対面授業よりも低いのか?

キャンパス閉鎖とオンライン授業、そして学費返還訴訟へ?

 多くの大学ではまもなく後期授業が始まる。少人数で行なわれる一部の授業を除いては、後期も引き続きオンライン方式で講義が提供される大学も多いだろう。新型コロナウイルス「第2波」「第3波」への警戒が求められる現状では、こういった対応はやむを得ないと言える。けれども学生、特にキャンパスライフに期待をふくらませて入学してきた1年生の困惑や失望は大きいはずだ。何しろ、大学へ入学してからキャンパスへ一歩も足を踏み入れたことすらないのだから……。このような状況が続いていくなかで困惑が怒りに変わり、さらには学費返還を求める訴訟へとつながっていく可能性もあり得る。

 

学生(保護者)が納める学納金は大きく「授業料」と「施設設備費(教育充実費)」に分けられる。キャンパスが閉鎖されている以上、学生は図書館などの大学施設を利用することが(ほとんど)できない。また、オンライン授業は、「オフライン」の対面授業と比べるとどうしても講義の質が下がる。録画されたオンデマンド講義にはいつでも好きなだけ視聴できるという利点がある一方で、教員にその場で質問できないという難点もある。受講者の少ない授業ならば「Zoom」などの会議アプリが使えるかもしれないが、それでも対面方式と比べて議論に制約はある。オンライン授業は対面授業の「劣化版」なのだ。

 

米国では学費返還を求める集団訴訟が相次いでいるという(『ニューズウィーク日本版』2020年7月28日号「オンライン授業に「学費返せ」」)。キーワードは「契約違反」。対面授業よりも価値の低いオンライン授業は契約違反であり、価値の差にあたる分の学費を返すべきだという論法だ。『ニューズウィーク日本版』の記事では「原告は契約違反を明確に証明できないだろう」という弁護士の見解も紹介されている。通常、学生や保護者は大学と明示的な契約書を交わさないからだ。

 

学費は教育サービスの対価ではない

 

多くの大学がキャンパス閉鎖を決めた3月時点でどの程度、学費返還を求める動きがあったのかは不明である。しかし日本私立大学団体連合会は早くも4月下旬に「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う学生支援にかかる課題」と題した文書を公開し、授業のオンライン化は学費返還の理由にならないと主張している(「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う学生支援にかかる課題」2020年4月28日付け)。その主張を支えるのは、学費は講義などのサービスの対価ではなく「経費」だという論理である。

 

これは一般的には理解されにくい論理だろう。例えば映画を観るためにチケットを購入したのに、映写機の不具合で肝心の映画がまともに上映されなかったとしよう。その場合、チケットの払い戻しを受けるのは、購入者にとって当然の権利である。映画館が「いや、チケット代金は映画製作にかかった費用なので、払い戻しには応じられません」などと言うのは筋が通らない。授業料にも同じことが言えるのではないか、という反論は十分にあり得る。

 

シグナルとしての大学教育

 

学費が対価と経費のどちらに該当するのかを明確に示すことは難しい。学生や保護者と大学との間で、入学前に詳細を定めた契約書を交わしているわけではないからだ。そのため、訴訟を起こしても学費の返還は受けられないかもしれない。

 

けれども、学生の皆さんはがっかりすることはない。学費を経費と見る考えは受け入れられなくても、では、投資と見たらどうだろう。経済学にシグナリングという考え方がある。「大学の価値は卒業証書にある」という考え方だ。「A」のそろった成績証明書と卒業証書があれば望んだ職に就くことができる。授業がオンラインであっても、大学は学生に対して十分な価値を提供できるのである。

 

期待通りの学生生活を送れなくなった学生は本当に気の毒だと思う。でも無駄な投資ではない。そう考えれば大学生活に希望が持てるのでは?