とりまかし読書記録

読んだ本の感想や書評を掲載していきます。

軍縮を望む世界と軍拡を望む各国-囚人のジレンマ-

中国軍の侵攻で台湾軍は崩壊する」(『ニューズウィーク日本版』 2020.9.29号)という記事を読んで思わずため息が出た。近年、軍事費を大幅に削減した台湾を激しく非難する内容の記事だ。中国軍の侵攻という脅威を傍目に、現状の台湾軍では太刀打ちできないという危機感からこの記事は書かれていて、その指摘は一理ある。受け入れがたいのは、眼前の危機に対処するべくとにかく軍拡が必要という記事の論調である。軍備拡大が必要とされる状況であってもあくまで軍拡は「必要悪」なのであって、本来、軍事力は小さくあるべきなのだ。記事を読み終えて、軍事費(防衛関係費)を年々増やしている日本も他人事ではないなと不安な気持ちになった。

 

www.newsweekjapan.jp

 

軍拡は安全保障問題を解決してくれない-安全保障のジレンマ-

 

国際政治学や安全保障学に「勢力均衡論」という考え方がある。単純化すると、2つの大国が軍事力で拮抗していればそれらの国同士で戦争は起きないという考え方だ。勢力均衡論に即して言えば、米ソの冷戦が戦争へと発展しなかったのは、両国が同じ程度の軍事力を備えていたからである。それによって世界平和が(ある程度)保たれていたわけだ。

 

この考え方について注目したいのは、軍事力が均衡していることが重要なのであって、その規模は問われないという点である。軍事力を金額で表せるとして、両国が100兆円規模の軍事力を備えている場合も、規模が1兆円程度の場合と何ら変わらないのである。いくら軍備拡大を続けても一向に安全とならないこの現象は「安全保障のジレンマ」と呼ばれていて、勢力均衡政策におけるもっとも重要な問題の1つである。

 

そうであれば各国の軍事力は小さい方が誰にとっても望ましいはずである。小さな軍事力、つまり軍事費が安くすむのであれば政府は社会保障や教育など他の分野に資金を回すことができる。これは世界中のどの国にとってもあてはまる。端的に言って、軍事費はできるかぎり抑えるべきだという提言がここから導かれる。国連に軍縮を目標とする専門機関が存在するゆえんである。

 

軍拡という愚

 

思考実験として、どの国もまったく武力・兵器を持たない世界を想像してみよう。この世界では戦争は決して起きない。起こりようがない。隣国と諍いが生じて暴力に発展することがあっても、それは戦争ではなくせいぜい「喧嘩」である。なんともすばらしい新世界

 

他方でどの国も多くの軍備を抱えている世界を考えてみよう。想像するまでもなくこれが現実の世界、世界の現状である。核兵器などの威力が高い兵器はおいそれと使用できないとはいえ、何かのタイミングで通常の武力衝突がエスカレートしないとは言い切れない。

 

どちらの世界に住みたいだろうか?筆者には答えは明らかなのだが。

 

軍縮は難しい-囚人のジレンマ

 

20世紀に起きた2度の世界大戦から、人類は戦争の愚かさを学んだはずだった。が、喉元過ぎればなんとやら、世界はいつでも再び世界規模の戦争を起こせるように準備万端だと言える。世界中で見られる軍備拡大がこのことを雄弁に物語っている。なぜ世界の(多くの)国々は軍備の拡充に勤しんでいるのか。

 

他国が軍拡するならば自国も軍拡すべき、というのはある意味で合理的だ。両国が軍縮するのが両国にとって望ましいとしても、である。これはゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」なのだ。お互いに「協力(=軍縮)」することが誰にとっても望ましいのに、皆が「裏切り(=軍拡)」を選んでしまう。ただし、囚人のジレンマで実現する結果はあくまで当事者にとって不本意な結果であることに注意すべきだろう。植木等が軽快に歌い上げたように「分かっちゃいるけどやめられない」のである。もっとも、経済学者が色んな国や地域で行なってきた「囚人のジレンマ」実験からは、多くの人びとは目先の利益を犠牲にして「協力」を選べることも分かっている。これは軍縮への道にとって大きな希望である。

 

最初に触れたニューズウィークの記事に則して言えば、囚人のジレンマの状態にあって中国軍の軍事力を弱めるにはどうすればよいか、この点こそ知恵を絞って考えるべきなのだ。軍拡という安易な道を後押しするような論調が社会の優勢にならないことを切に望む。